「仮面ライダークウガ」脚本・荒川稔久、25周年で新発見 「超クウガ展」オダギリジョーの音声ガイド秘話

2000年、21世紀という新たな時代を迎えようとする中、平成仮面ライダーシリーズの原点「仮面ライダークウガ」がスタートした。放送25周年を迎えた2025年、今なお絶大な支持を誇る本作の魅力を余すことなく伝える展覧会「超クウガ展」が開幕する。東京会場のオープンに先駆け、本作のメインライターを務めた荒川稔久が取材に応じ、自身の東映特撮ヒーロー作品における歩みと「クウガ」当時の思い出、そして「超クウガ展」のために手がけた音声ガイドにまつわる裏話を語った。(取材・文:トヨタトモヒサ)
ファンの熱量を感じて迎えた25周年

Q:まずは「仮面ライダークウガ」が25周年を迎えてのお気持ちをお聞かせください。
はじめに「もう25年も経ったんだ」と思いました。その25周年を機に「超クウガ展」という大規模な展示イベントが開催されるのは、当時関わったスタッフのひとりとして大変光栄に思います。本当にありがたいことです。ファンの皆さんが忘れずにいてくれないことには成立しないわけですからね。
Q:そういったファンの熱気を感じる機会はこれまでにもありましたか?
そうですね。15周年や20周年の時にもイベントが開催されたり、何度か機会はあったので、熱心なファンの空気というのはその都度、感じながら今に至ります。
Q:昭和、平成、令和と仮面ライダーがシリーズとして現在も続いている中、今も「クウガ」はファンの心を捉えて離さないわけですが、その点についてはいかが思われますか?
主題歌の歌詞に「時代をゼロから始めよう」とあったけど、やっぱりあの時、大きく変えたのが良かったんでしょうね。体制自体もガラッと変わったし、当時を振り返ると、それはそれでとても大変だったんですけど、やっぱり頑張って良かったなと、改めて感じますね。
Q:荒川さんご自身は、マニア世代の作り手でもあり、ウルトラマンシリーズへの思い入れは、度々発言されていますが、そもそも仮面ライダーシリーズについては、どういった認識をお持ちですか?
最初の「仮面ライダー」が1971年で、僕が小学校2年生の時でした。5つ上の姉が友達同士で「なんかちょっと怖い番組が始まった」と話題にしていて、姉から「面白そうだから観てみよう」と誘われて観始めたのがきっかけなので第1話は観てなくて……第5話(「怪人かまきり男」)くらいからだったかな。初期の頃はかなり怪奇色が前面に出ていたでしょう。作品のムードもどこか暗いし、子ども心にとても怖い印象がありました。一文字隼人が登場してからはカラーが大きく変わるんだけど、最初の頃はちょっと観るのを渋っていたようなところもありました(笑)。アクションにもそんなに興味なかったし、派手な特撮があるわけでもないので、回りのみんなほど盛り上がってなかった気がします。そういう意味では、やっぱり円谷派でしたね。
Q:とはいえ、一文字隼人の名前も挙げられていたので、観続けていたわけですよね。
ええ。2号になってから、番組が一気にブレイクしたんですよね。それで遅れて「仮面ライダーカード」を集め始めて(笑)。当時の話で言うと、途中から「超人バロム・1」も始まって、どちらかと言えばそっちにハマってました。スナックもカルビーのライダースナックじゃなくて和泉せんべいのバロム・1スナックを買ってたんですよ。なのに番組があっさり終わってちゃってね(苦笑)。もちろん「仮面ライダー」も観続けていて、「仮面ライダーV3」では主題歌のレコードを買ってもらうくらいには馴染んでました。ウルトラと人気を二分する番組だったけど、自分はやっぱり図工の時間に怪獣ばっかり描いてましたね(笑)。
Q:そのままずっと観続けていたのですか?
いや、「V3」で観るのをやめちゃっています。ウルトラマンも「タロウ」で「なんか違う」ってなって。5年生になると、作品が乱立して粗製濫造感があったのと、中日が優勝してそっちに興味が移ったのとで特撮は一旦卒業。とはいえマニア心はどこかにあって、朝日ソノラマのファンコレや雑誌「宇宙船」の創刊にそそられて、「ウルトラマン80」辺りでまた戻って来るんですよね(笑)。スーパー戦隊シリーズだと「電子戦隊デンジマン」とか。「仮面ライダー (スカイライダー)」もマニア視点で観てましたね。
Q:そうなると、また見方が異なりますよね。
そうなんです。めちゃくちゃ失礼な話ですけど、当時のマニアの感覚として東映作品は一段下というか、安上がりにどんどん作るみたいなイメージがあったんですよね。個人的には「太陽戦隊サンバルカン」とか「宇宙刑事シャイダー」とか大好きでしたし、「ロボット8ちゃん」に榊原るみさんと団時朗さんが出て来た時は盛り上がりましたけど、全体的にどことなく雑というか………だからパパッと簡単に作ってるんだろうと甘く見てたんですよ。でも、実際にこの世界に入ってみると全くそんなことはなくて、僕は「仮面ライダーBLACK」で脚本を書かせていただきましたが、そこで当時の吉川進プロデューサーの洗礼を受けて、これは並大抵のことでは務まらないんだ、ということを痛感するわけです。
「仮面ライダーBLACK」時代の苦労と感動
Q:「仮面ライダーBLACK」では、吉川プロデューサーから「上原正三は二人いらない」と言われたという有名なエピソードがありますね。
直接言われたわけじゃないんですよ。僕は山田隆司さんの紹介で入っていて、山田さんとご自宅が近かったプロデューサーの堀長文さんとは最初に一度だけお会いしたんですけど、後は山田さんだけが打ち合わせに出られて、「こういう直しが出たよ」と聞く形だったんです。そんな中での吉川さんのお言葉ですけど、いきなり図星を指されたというか、甘く見るなと言われた気がして強烈な印象として残ってますね。後に上原正三さんにお会いした際に「いやぁ、それは大変だったね」と慰めの言葉をいただきましたけど、「BLACK」は「やっぱり小手先ではできないな」と考えを改めた作品でした。
Q:東映でのデビュー作は、奇しくも「仮面ライダー」ということになるわけですね。担当されたのはコガネムシ怪人の回(第28話「地獄へ誘う黄金虫」)になります。
クジレット上はそうですけど、他にアイドル回(第39話「アイドルの毒牙」)、石ノ森章太郎先生のご子息(※小野寺丈、現在は丈)が出演されていた回(第42話「東京ー怪人大集合」)と、都合3本書いてます。
Q:子どもの頃に観ていた番組に参加して、それが実際に画になった際はどのように思われましたか?
やっぱりトキメキがありましたよね。自分が書いたものが「こうなるんだ!」っていう驚きもありました。第39話で、主人公の南光太郎を探すヒロインの秋月杏子の前にバトルホッパーが現れて「乗って」みたいなリアクションをする場面を書いたんですが、これが実際の映像を観たら「なかなかカワイイな」とか(笑)。アニメの場合は間にコンテが入って、それで変わることが多いけど、実写の場合は台本通りに撮らないと混乱するのもあるけど、「本当に書いた通りになるんだな」って。「BLACK」ではその感動をより強く感じました。
Q:「BLACK」では、高寺成紀さん(高ははしごだかが正式表記)がプロデューサー補として参加していましたが、この作品がお二人の最初の接点になるのでしょうか?
いや、もう少し後になります。そもそも東映との繋がりも一度ここで切れていて、その後、「鳥人戦隊ジェットマン」のときに井上敏樹さんから呼ばれて、手を挙げたのが僕と川崎ヒロユキくんだったけど、これはこれでまた大変だったんですよ。まだどこかに甘さがあったんでしょうね。「戦隊ならこういう感じかな」と出してみたものの、ことごとく通らない。10回くらい出していたけど、それをまた当時の鈴木武幸プロデューサーが楽しそうにボツにするんですよね(笑)。でもまあ1本変なの(第10話「カップめん」)を書いたら吹っ切れて、やっと軌道に乗りました。その後、「恐竜戦隊ジュウレンジャー」「五星戦隊ダイレンジャー」と続いたけど、「忍者戦隊カクレンジャー」では書けたのが2本だけ。「超力戦隊オーレンジャー」は参加できずに、その脇で「てれびくん」(小学館)のテレフォンサービス「カクレンコール」や「オーレンコール」の台本を書いていました。その時に吉川さんや鈴木さんの下にいたのが高寺さんで、「今は我慢ですよ」みたいなことを言われたのを覚えています。高寺さんは高寺さんで、まだアシスタントでしたから好きなように出来なくて、同志みたいな感覚があったかもしれません。脇に追いやられてはいましたけど、「オーレンコール」の打ち上げでさとう珠緒さんから「『オーレンコール』、好きでした!」って言われて元気になれたりしました。
Q:翌年の「激走戦隊カーレンジャー」で、高寺さんが初のチーフプロデューサーになり、それと共に荒川さんもライターとして加わりましたが、「クウガ」はその流れでオファーがあったのでしょうか?
「カーレンジャー」で同世代的なフィット感がありましたけど、「カクレンジャー」で多少攻めたプロットを出したりしてたので、その印象があって呼んでくださったようです。でもやっぱり最初は大変でした。高寺さんから「ハリウッドテイストを目指したいんです」って大風呂敷を広げられて、それに乗り切れなくて。だって東映で書かせてもらっていた感覚からすると、そんなの絶対無理って思っちゃうじゃないですか。
僕がよく覚えているのが「ダイレンジャー」の東條昭平監督の回(第40話「さらば!3バカ」)で、バイクが船にジャンプするシーンを「そんなお金のかかりそうなこと絶対できないだろうな」って思いつつも書いてみたら、東條さんが「いいよ、撮るよ」と言ってくださって。「やってくれるんだ!」って喜んで、ドキドキしながらオンエアを観たら、岩壁でジャンプする直前までは本物のバイクだったのが、突然写真の切り抜きみたいになって船に飛び込んで、要はすごくローテクなわけです(笑)。「ジェットマン」では制作担当の藤田佳紀さんが原始人の村(第26話「僕は原始人」)を作ってくださったことがあったんですけど、それは「せっかく若い子が入ってきたんだから、好きなことやらしてやろうよ」というイレギュラーな待遇で、特撮作品はご存知のようにお金がかかりますし、東映はそういった部分が常にシビアという印象があったんですよね。
その頭があったものだから、最初の頃に出していた文書は凄く懐疑的になってて、高寺さんからは「ヤル気あんのか、この人!?」みたいに思われていたらしく(笑)。一度はもう降りますか、ってとこまで行ったんですけど、まあ待ってくれと。こちらも忖度なく本音を話して、そこからですかね、ようやく軌道に乗ったのは。お互い納得がいくところまで話し合うことができたので、最終的には「じゃあ、思い切ってやろう」ってことになりました。
Q:荒川さんとしては、それで腹を括ったと。
ええ。高寺さんも、どこまでできるか分からないけど、とにかく書いてもらって、その上で、現場で実現できるラインをはかり、それで監督に投げますから、と。初期のプロットで、首都高から車が飛び出すみたいなシーンを書いたことがあって、当時助監督だった鈴村展弘くんはそれを偶然事務所で見ちゃって青ざめて、無言で裏返してデスクの上に伏せたらしいです(笑)。要はそれくらいの心意気でやってみようと。そういう意識ではありましたね。
「クウガ」の世界観における“変身”

Q:「クウガ」では、これまでの東映の特撮ヒーロー作品にはなかった「文芸」のセクションがあるのも特徴ですが、脚本家としては、こうしたやり方はいかがでしたか?
細かい設定を一人では抱えきれないので、そこを分担して大石真司さんと村山桂さんのお二人がやってくれたのは、すごく助かりました。それと、高寺さんは説得するのになかなか時間がかかるタイプで、そこにヒーローの専門家の大石さん、グロンギにこだわりのある村山さんがいて、「ここの戦いはこうするべき」とか「今までにないパターンだとこう」と提示することで、高寺さんも「なるほど」となってくれる。そういう感じで、3人で高寺さんを説得するターンもありましたね。
Q:そういう意味では、荒川さんとしてはやりやすかったと?
ええ。後に講談社キャクラター文庫で「小説 仮面ライダークウガ」を書いた時に、それを痛感しました。小説はひとりで書くものじゃないですか。高寺さんも含めて、頭が4つあるのがいかにありがたいと思ったことか。話がちょっとそれるけど、小説版「クウガ」は本当にしんどかったです(笑)。
Q:この作品から大きく変わった部分が多々ありますが、荒川さん的に印象に残っている要素を挙げるといかがですか?
まず、「変身!」を言わせるかどうかの問題がありました。あの世界観で「変身!」って叫ぶのも何かヘンだし、でも言わせないのもね……。それで「流れで言っちゃえばギリギリ成立するんじゃないかな?」と書いたのが第2話の「見ててください、俺の変身!」というセリフなんです。そもそも五代雄介役のオダギリジョーくんが「ヘン………シン!」とか熱苦しく叫ぶタイプの人じゃなかった、というのも大きかったですね。彼はオーディションで「主役なんてやりたくないです。脇役のお巡りさんでいいです」なんて言ってましたから(笑)、そうなると、やっぱり工夫してあげないとね。
Q:当時、オーディションにも立ち会われたのでしょうか?
最初の頃は行っていなくて、候補が絞れてきた後半の2~3回くらいは呼ばれて行きました。なかなかピンと来る人がいない状態が続いていて、もうクランクインぎりぎりになって、最後の最後に連れてこられたのがオダギリくんでね。さっき言ったみたいに全然ヒーローらしくない芝居だったんですけど、不思議と場が和んだんですよ。それで一同「これで決まりですね」となって。あの時の空気感は、本当に忘れられないですね。
音声ガイドは全10コーナー、オダギリジョーと懐かしトーク

Q:ここからは、「超クウガ展」で担当された音声ガイドについてお聞かせください。
全部で10のコーナーに分かれていて、全体を通してどういう流れにするかは、高寺さんをはじめ、みんなで会議をして決めました。各パートには怪人デザインの成立といった僕が知らないことや、僕が入る以前のテーマも盛り込まれているので、そういった部分に関しては高寺さんや、大石さんに下書き的なものを用意してもらいました。それを僕がシェイプアップして仕上げています。
Q:それでは、音声ガイドのお仕事を通じて、荒川さんご自身も初めて知った事実もあったわけですか?
そうです。今回、美術の木村光之さんと初めてお会いしたんですけど、何気なく観ていたところでも、「こんなに細かいところまで作ってたのか」と。それは25年目にして初めて知ったことで、やっぱりこの作品はどのパートも力が入ってたんだなあと。展示や図録を見て頂けば、その感じがきっと伝わると思います。
Q:音声ガイドには、当事者だからこそ知り得るネタがたくさん盛り込まれているそうですね。
全49話なのに台本が61冊あるとか(笑)。改訂稿が出るのは、かなり稀なことだと思います。印刷した後で改訂してまた印刷なんていうのは、ほとんど前例がないんじゃないでしょうか。一つお伝えしておきたいのは、脚本コーナーの音声ガイドについて。これに関しては、一度書いたものを高寺さんに見せたら、「もっと荒川さん自身を褒めてください」って言われたんです。でも、自分で自分のことは褒められないですよね(笑)。なのでそこに関しては、高寺さんと大石さんにお願いして書いてもらいました。
Q:ナレーションは、五代雄介役のオダギリジョーさんが担当されています。
五代雄介ではなく、オダギリくんのセリフを書くので、そこの緊張感みたいなのは少しありました。役じゃなくて今回はガイドですからね。彼の中では、展覧会のナビゲーターとしてきちんと伝えなくちゃという気持ちが強くて、そういう意味では、割と固めに仕上がった感じです。
Q:オダギリさんが様々なスタッフとトークを繰り広げるとのことで、そこもまた聴きどころになりそうです。
だいたい目安だけ書いて、進行自体はオダギリくんにお任せでしたけど、高寺さんとのコーナーの収録は、見ててハラハラしましたね。というのも、台本では5分くらいの想定だったのが、話が膨らんで50分くらいになっちゃって(笑)。その次が僕の収録で、「ダメですよ高寺さん、僕は長くても15分ぐらいで終わらせますから」なんて言っておきながら、オダギリくんと話すのが楽しくて、終わってみたら45分!(笑)。本当にアッという間でした。ナレーションは真面目にきりっと、掛け合いは砕けてざっくばらんに、と使い分けてくれた感じかな。そういう意味では、緩急があって面白いものになったと思います。
Q:全部で10のパートに分かれているとのことですが、荒川さんのオススメパートはありますか?
ルーム7のゲストが鈴村監督なんですけど、彼は喋りが上手いんですよ。しかも、当時の撮影現場にいた人しか知り得ない話題が満載だったので、純粋に視聴者としても楽しく聴くことができました。今回、ヒーローものの展覧会としてはかなり毛色の変わったイベントになってると思いますし、音声ガイドもオダギリくんの硬軟両面が聴けますし、僕らもゲストで喋ってて当時の空気感が蘇りまくったので、そこをファンの皆さんも楽しんでもらえれば嬉しいです。
「超クウガ展」東京会場は6月14日(土)~7月6日(日)まで東京ドームシティ Gallery AaMoで開催※休館日なし